お稽古事

昨日は夜ウクレレグループホイホイのレッスンがありましたが、隣駅に住む生徒さんとしばしば一緒に帰ります。

ホイホイは今年15周年ですねという話になり、15年前に講習会が始まった頃を思い出しました。

一言で15年と言っても、特にホイホイは夜の講座でしたので仕事を持っている方が多く、そんな中で決められた月2回のレッスン日に来ることは、けっこう大変だったのではないかと思います。実際、仕事場から自宅とは反対の電車に乗ってとか電車を乗り継いでくる方も多いのです。

でも仕事でお休みしても、皆さんのスタンスが変わらず、グループとしての心地よい環境があったので続けられたのかとも思います。これは本人の努力ももちろんですが、みんなで一緒にやることの楽しみをメンバーが共有していることが大きいのではないでしょうか。うまく言えませんが、家族的な楽しいグループということです!

 

私はと言えば、大きな声では言えませんが、子供の時のお稽古事はあまり続いていません。ほとんど先生の都合が多かったのです、と言い訳です。

3歳からクラシックバレーを習っていましたが、隣の別府市に引っ越ししてから就いた男性の先生は、しばらくして仕事のため福岡へ転居。その後、私の家族は別府から大分へ戻ったのですが、大分で習っていた先生は、なんとご病気で亡くなったのです。

ここでバレーはやめてしまい、5歳ごろからピアノを始めました。評判の良い先生でしたが、うちから徒歩30分以上かかるし、当時ピアノはそれほど好きではなかったみたいで、4年生でやめてしまいました(これは自分の意思ですね)。

そしてこのころ、同級生のお宅で先生を招いて書道教室をやり始めたので通いました。2年ほど通ったと思いますが、先生が転居されて終わりになりました。

小学校から高校一年まで合唱部にいましたので、音楽はずっと楽しんでいました。

特に小、中の頃、放課後に音楽室で友達と過ごしたことはとても思い出に残っています。そんな音楽とは縁が切れない学校生活でしたが、高校一年の時、合唱部の練習が帰りが遅くなり危ないということで、母親に無理やり辞めさせられたのです(今でも根に持っています(笑))。

それが良かったか悪かったか、12歳から独学で練習していたギター一筋になったというわけです。そして今に続く・・・。

その他お稽古事といえば、高校生の時、あまりに数学の成績が悪いので友達2人と、当時の高校の若い男性の数学の先生に、友達の家に来ていただいて教えていただくことになりました。親同士が相談したのかと思います。

当時は塾などはなかったのです。学校が塾のようでした。1年ほど続いたのですが突然終わりを迎えました。なんと私たち3人の成績がまったく向上しないので、先生があきれて教えるのをやめてしまったのです。この先生には本当に悪かったな~と思いますが、解らないものは解らない。そんなに急に頭が良くなったら苦労しません笑。

そしてギターの師匠だけは私にとって永遠の師匠になりました。ギターだけでなく、人生に確固としたゆるぎない信念を持っていて尊敬しています。それこそ生活の仕方、服装のセンスや食べるものや大切にするもの、どれほど影響を受けたかわかりません。

 

バレーを続けていたらとか、合唱を続けていたら歌の道へ進んだろうかとか、地元の国立大学に行って教師になっていただろうかとか考えることもありますが、人生はなるようにしかならないとも思います。

他のことをやっていたとしても、結局ギターの道へ進んだろうと思うのです。

 

私のお稽古事は中途半端が多かったですが、ホイホイの15年の他にもすでに15年を過ぎた生徒さん、20年、25年続いている生徒さんがいて、本当にすごいな~と思います。この長いお付き合いを大切にしていきたいと思います。