また会う日まで

おととい23日はオフでしたので関内でギター練習、難しいフレーズを何度も練習していた午後、その悲しい知らせが届きました。
ギターをケースにしまうも、また取り出してバッハを弾いた。ヴァイオリンパルティータのサラバンドとブーレ。
ぼーっとしたまま帰宅して、セゴビアを何曲か聞いた。セゴビアの音は力強く、一つ一つの音が身にしみて、楽曲の素晴らしさをいつもよりすごく感じた。
それからメリットマロイの詩も読んだ。
大切な人を亡くした人に書かれた詩だ。
「天国に面会時間があったなら亅という曲も聞いた。
でも何をしても一晩中、私はぼーっとしたままだった。

私にウクレレとハワイアンを教えてくださった先生、ハワイアンの普及に全身全霊を傾けて活動していました。先生と知り合ってからの25年間、先生はどんどん活動を広げ、とても忙しい日々になりましたが、先生のライブやレッスンを楽しみにしているたくさんの生徒さんやファンが喜んでくれることは、先生の1番の喜びでもあったと思います。

昔は時々飲みに行きました、私が何か嬉しい事を報告すると一緒になって喜んでくださり、悩みがあるときは親身になって聞いてくださりアドバイスしてくれた。それは最近のメールのやり取りでも変わりませんでした。私だけではなく、関わる人みんなへ優しかった。

「オレはハワイアンしか知らないから勉強したいんだよ亅と、私のギターコンサートや発表会にも、都合がつく限り足を運んでくださった。

先生が率いての生徒さんとのハワイ旅行、一年おきで3回参加しました。こんな楽しいことは今までなかったと思うほど楽しかった。

この写真は、私が2004年から2005年にやっていたウクレレ講習会の終了コンサートで、先生をゲストにミニライブをさせていただいた時のものです。
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実際にウクレレを習った期間は数ヶ月でしたが、先生の演奏からたくさんのことを学びました。
音楽についてだけでなく、仕事上のこと、人との関わり方などで大切にしていること、いろいろなことを教えていただきました。


今はちょっと遠いところへ行って会えないけれど、また会う日まで私は自分がやりたいこと、やるべきことを頑張ってやって行きます。


先生は今、必ず病気を克服して行くぞ!と言っていたハワイの空の上あたりでしょうか?
太田先生が、「なんだずいぶん早いじゃない亅と言って、にこにこ迎えてくださっているでしょうね。

私に先生を紹介してくれた大親友のAさんも、「先生、ウクレレ弾いて〜亅と、さわいでいるかも。

少し休んだら、またウクレレ弾いてスチール弾いて、素敵な歌で、みんなをうっとりさせて、幸せに過ごしてください。
心から、ありがとうございました。