故郷大分市〜西洋音楽発祥の地

今日の新聞に大友宗麟のことが紹介されていました。 大友宗麟は私の故郷大分の戦国大名です。キリシタン大名ともいわれていますが、1550年頃、フランシスコザビエルを招き自身も洗礼を受けています。ただし禅宗にも入道していた珍しい武将で、キリスト教保護によってポルトガル商船の来航によるヨーロッパとの交易の期待もあったようです。
宣教師達によって日本で初めての西洋医術の病院や育児院が建てられ、その記念碑の銅像レリーフ大分市の中心にある遊歩公園にありました。
この遊歩公園、子供の時よく通り、それらの銅像のほかにも滝廉太郎銅像(ここが彼の亡くなった地)などなぜかたくさんの銅像があったのですが、当時なんとなく私の目を引いていたのは、ビオラのような楽器を弾いている宣教師とそのそばで大きな口をあけて歌っている子供達の銅像です。「西洋音楽発祥の地」と表示がありました。
宗麟に保護された宣教師達が当地の子供達に楽器や歌を教え、合唱隊のようなものがあって宗麟の前で披露されていたらしいです。
ギターを弾くようになって良かったと思うことの一つは、昔はクラシック音楽というとバッハ以降のものでしたが、ギターはルネッサンス時代はもちろん、それ以前の中世やもっと前の音楽を演奏でき、それも民族音楽から宗教音楽までいろいろな時代やさまざまな国の音楽に触れたり勉強したりする機会に恵まれたことです。
どんな時代でも弦楽器はあったので、ギターは機能的に幅広いのですね。
自分のコンサートでは、たびたびルネッサンスや中世のものを演奏していますが、この時代の曲がとても好きなのです。
いつだったか、ふと遊歩公園銅像を思い出し、ビオラに合わせて歌っていた子供達の一人が私の祖先だったのかもなんて想いがよぎりました。
当時、どんな曲を宣教師達が教えたのか興味がわきます。突然ヨーロッパの曲というよりは、布教のために人々を惹きつけるような、民衆の間で流行っていた歌などだったのかもしれません。
そのせいか(というのも変ですが)民族音楽が大好きで、ハワイアンが好きになったのも当然だな〜と納得です。